8月15日 日本で一番長かった日。

70年前の8月15日 私は10歳でした。

食べるものが無くていつもお腹が空いていました。

畑のトマトを盗んだこともありましたしかぼちゃを盗んだこともありました。

疎開していたところは群馬県の富岡の二つ先の駅一の宮というところでした。

そこでは都会者と言われていじめられていました。野菜やさんは都会者には売るものが無い と

目の前に野菜があっても売ってもらえないことがよくありましたし学校へ行けば都会っ子といじめられ

本当に嫌な思い出しかありません。今のようにテレビなど無い時代ですから言葉が違うことが

大きな原因だったと思います。方言がわからなくて困ったことを覚えています。

15日は夏休みの日でしたが学校へ集まったような記憶がありますが定かではありません。

その日八百屋のお婆さんが箒を逆さに持って絶対に日本は戦争に負けないと大声で怒鳴っていました。

そんな日でしたが嬉しいことにその晩から電気を付けてもよくなりまた洋服を着たまま寝なくてもよくなった

事は覚えています。

8月15日はカンカン照りの暑い日でした。埃っぽい道路に嫌に大きな蜂のブンブン言う声が耳について

なぜか町じゅうがしーんとしていましたっけ。警戒警報や空襲警報が無くなったせいだったのかもしれません。

その晩から何日か高崎方面の空が炎に赤く染まっていました。軍の重要書類を燃やしていたそうです。

それから冬まで記憶がないのですがある日トラックに乗って千葉へ帰りました。

でも家は焼けて無くなっていて防空壕の中で暮らしました。

アメリカ兵がガムを噛みながら歩いていて怖かったです。何をされるかわからないからなるべく家から

出ないようになんて言われたけどそうもしてられないし母の焼け残った着物を持って買い出しに行ったり

しました。本当に何も食べるものが無くて雑草まで食べました。食糧難はずっと後まで続き私が20歳に

なるころやっとお米のご飯が食べられるようになりました。それまでご飯の中に麦ならまだいいほうで

高粱(コウリャン)(そんなもの今の人は知らないと思うけどひどくまずくて今なら家畜のえさ)とかアワとかキビとかが

入ったご飯でした。調味料もなくて塩味でしたし。甘いものは全然無かったから甘酒を母が作った時

むさぼるように飲んだこと忘れません。甘いものって憧れでしたよ。

そんな日々でしたがいつの間のかバブルの時代があったり安保反対の学生運動があったり

全学連のすごい事件があったりしながら日本は戦争をしない国になって平和が続きました。

でも今またアメリカの後方支援するんですって~~怖いですね。また戦時中の二の舞になるかもね。

また私のような空腹を抱えた青春を送る人が出ないといいけどね。

戦争は怖いよ普通の人が一人殺したら死刑になるけど戦争ではたくさん殺した人が英雄になるよ。

もう昔と違うから原子爆弾よりもっと強力な爆弾で世界が消えてなくなるかもね。

クワバラ クワバラ。

by tanihiro4h | 2015-08-16 00:38 | 日記 つぶやき 日にちの記録覚書。 | Comments(0)

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