3月19日 ご無沙汰しておりました。
2016年 03月 19日
母が亡くなり鹿児島に帰っておりました。
帰るという言葉が適当かどうか疑問でありますが~~
母が住んでいたので故郷という感じでおりましたがもういないので
故郷ではありませんね。弟が住んでいるところというのが正しいです。
母は103歳で大往生でした。1月から危篤と言われながら3月までもったのですから
もう死なないのかも?などと思いましたけど死なない人間はいませんでしたわ。
思えば母にはいろいろな思い出があります。父が亡くなってから34年も長生きしました。
父の分も生きたのです。大正に生まれ昭和平成と100年以上生きたのですから
苦労も多かったかもしれませんが生まれつきのお嬢様でしたから他人のことには
無関心でしたし自分本位に気ままに生きてきた人でした。
父が生きている頃は父に大変可愛がられ亡くなってからは自分の一番好きな子供の
処で暮らしました。80歳過ぎるまで母親がいるということは幸福なことかもしれませんが
私は母が亡くなってなんだか肩の荷がおちたようにも感じています。
今までずっと母がいるからとどこかで気になっていました。
まして弟が難病に罹ったと聞いた時にはできるなら母を引き取りたいと思いましたが
そんなことを夫が許すはずもなくとうとう亡くなってしまいましたが。
幼いころからずっと母に気に入ってもらいたくて生きてきたようにも思ったりします。
みんな誰でも親があり親のDNAを受け継いでいます。私も母に似ているのだと思うと
100歳過ぎまで生きているのはしんどいなあと思ってしまいます。
よぼよぼで生きるのは辛いですね。
白い沈丁花は清楚で好きな花です。
by tanihiro4h
| 2016-03-19 22:43
| 日記 つぶやき 日にちの記録覚書。